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武衛家の滅亡

斯波氏は1554年、ついに斯波義統が守護代の織田信友に殺される事件が起こる。嫡子の斯波義銀は織田信長を頼った。信長にとって信友は本家であると同時に主君筋であった。しかし、信友が守護である斯波氏を討った、すなわち、守護への反逆をおこなったため、信長はこれを口実に信友を滅ぼすことに成功した。さらに信長は諸国の目を欺くため、一時、隠居し所領のすべてを斯波氏に返上した形をとり、吉良氏、今川氏との同盟を結んだ。

この時のエピソードとして、斯波氏が吉良氏と同盟する折、信長は義銀に随従し、同盟相手である吉良義昭への会見に臨んだが、席次をめぐって対立を起こしたという。吉良氏は「足利将軍家が滅んだ後は吉良氏が将軍職に」と定められた将軍継承権を有する家であったが、斯波氏も鎌倉時代以降、足利の名字を有し続け、幕府にて高い格式を誇り、引け目はないと主張したのである。ともあれ、いさかいを起こしながらも、一応同盟を結んだ両家は次第にともに共謀して反信長に結束することになる。

1561年に義銀は吉良義昭や、斯波氏の一族で幕府の重鎮の家柄であった石橋殿を味方に引き入れ、信長討伐の陰謀を図るものの、未然に発覚して追放された。これによって斯波氏は事実上滅亡した。

義銀の次弟は毛利秀頼として織田信長に仕え、三弟は津川義冬として信長の次男 織田信雄に仕えた。しかし、大名としての斯波氏嫡流が復活することはなかった。後に前田利家の家老として斯波氏の一族が確認されるのみである。
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奥州斯波氏(おうしゅうしばし)は奥州に定着した斯波氏の庶流をいう。高水寺斯波氏、大崎氏、最上氏、天童氏(元々は里見系、斯波家兼の系統)、石橋氏、塩松氏などがある。

そもそも斯波氏の名乗りの起源は陸奥紫波郡とされており、奥州は斯波氏にとっては本貫である。南北朝時代には斯波家長、ついで斯波家兼が「奥州総大将」として奥羽での軍事指揮権を発動した。その後、奥州総大将は軍事指揮権だけでなく、検断、沙汰の権限、管国内の知行安堵、恩賞などの推挙権を持つ奥州管領に格上げされる。観応の擾乱期には畠山国氏、吉良貞家らが任ぜられたが、斯波家兼の子孫である斯波奥州家がやがて就任し、世襲する。

奥羽は南北朝期から、郡ごとに有力国人に軍事指揮権や権断権など強い権限を与えた「分郡」とも呼ばれる独自の制度があり、非常に有力国人の力が強く、奥州管領の斯波奥州家も大崎郡を分郡として引きこもる傾向が強くなり、大崎氏と呼ばれるようになる。一時奥羽は鎌倉府管内に編入されるが、奥州探題職が作られた後は、大崎氏が代々探題に就任する。探題は管領と同じ権限を持ったと思われるが、のちに奥州の有力国人は将軍家と直接主従関係を結ぶ「京都扶持衆」となり、奥州南半には篠川御所、稲村御所など鎌倉公方の分家が入府し、勢力を持っていたため、奥州管領時代のような威勢は無くなった。 やがて大崎氏は次第に膨張する伊達氏の圧力をまともに受けることとなり、衰退する。大崎義直は家中の騒乱を自力で鎮圧できず、伊達氏から養子を迎えることで支援を受け鎮圧した。その後養子大崎義宣を排除し自立を果たすも伊達氏の圧迫を受け続ける。伊達政宗が大崎征伐に乗り出すと苦戦を強いられたが、最上氏庶流の黒川晴氏が大崎方に寝返ったことで家の命脈だけは保つことができた。

しかし、結局大崎氏は、小田原参陣に呼応しなかったため、改易された。子孫は最上氏に仕えた。

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2009年06月05日 10:46に投稿されたエントリーのページです。

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